キレない男

 



どうも、「怒らない男・クラウン」です。

最近私は「丸くなったね」とよく言われます。

体型の話ではござんせん。

怒らなくなったねという意味でござんす。

どれくらい怒らなくなったかというと

釈迦レベルです。釈迦・ブッダレベルで怒りを手放しております。

もう私は初対面の年下にタメ口きかれようが夏の蒸し暑い夜に耳元でプンプン蚊が飛んでいようが彼女が無断で外泊してきて「どこ行ってたの?誰と?」って聞いたら「別にいいじゃん。そんなにアタシのこと信用できないの?」って言われて「違うじゃん。好きだから不安になるんじゃん。そっちこそ俺のこと信頼してねーのかよ。」って思ってでも情けなくて口に出せずに悶々としてても全然怒りません。

涼しげな顔で「スカーっ」て屁をこけます。

もちろん最初からそんな怒りと疎遠ヒューマンだった訳ではありません。

むしろ少し前の僕は瞬間湯沸かし器なんて異名をほしいままにしておりました。

もう年下じゃなくたってタメ口きかれたらブチギレ。

夏の夜に蚊が飛ぶどころか蚊の存在意義が不明すぎて生態系にビツギレ。

まして彼女が外泊どころか「友達と遊びに行っていい?」と言われて「誰と?」って聞いたら男女グループの中に彼女のバイト先の男が混じっててそれだけでクリスマスの夜にパチギレするくらいクレイジーでした。

なぜ怒らなくなったか

これはもう人間関係の渦中で荒波に鍛えられたというのが大きいです。

職場は人間関係の渦

私は職業柄学歴も年齢も育ってきた環境も違う人たちを管理したり指導したりする立場にいるので、それこそ十人十色、好き嫌いは否めないというか価値観が違うのが当たり前な状況にいます。

Aさんにとってはなんでもないことも、Bさんにとっては怒髪天を突くようなことだって起こり得ます。

例えば、極端な話業務上のやり取りをラインでするときに、

AさんとBさんにはジェネレーションギャップがあり、Aさんは「既読つけときゃいいでしょ」と考える

しかも特に失礼とは思わない

でもBさんは「ただでさえライン?こんなもんで業務連絡してるってのだって軽薄なのに返事もしやがらねーのか!」となることもあります。

そんな紛争がいつもどこかで起こりかねない職場で、管理する立場の私たちまで「なんでそんなことで揉めとんねん!」と怒り始めたらもう収拾がつきません。

そうなった場合には双方の意見を聞き、お互いに歩み寄れるようにはかります。

多様な価値観が当たり前



今の時代、昔のように「社会性」、「協調性」という考え方よりも、「パーソナリティ」が重要視されるようになり、枠からはみ出すことや周りと同調せず自分の意見を言うことはむしろ長所として捉えられるようになりました。

そんな社会の中で、誰かと「何を大事とするか価値観が違う」ということはもはや当たり前です。

そして、もちろんわかりあおうとすることは大事ですが、絶対に分かり合えない人種もいると頭の片隅に置いておくだけで「なぜわかってもらえないんだ」とか「あなたのために言っているのに」とかいう葛藤はなくなります。

ヒストリーで考えない

言い方を変えれば、「蓄積」させないということです。

例えば、私がよく言われたのが

「急にキレた」、「いきなり怒り始めた」

という言葉。

これがどういうことかというと、キレてる側の私は「急にキレてる」つもりはありません。

むしろ「ここまで我慢したけどもう無理」と思ってました。

例えば、

・その人と会う、会話してて初対面でタメ口とかまあ気になるけどそんなにムカつくほどでもない・・・怒りゲージ:0〜10

・会話してて「あれ、この人自分のことは良く言うくせに人の悪口多いな・・・」・・・怒りゲージ:11〜20

・物を強く置いたりいちいち大きな音でドア閉めたり何かにつけガサツ・・・怒りゲージ:21〜40

・喋るの嫌だけど頼まないと進まないし仕事上のお願いをするも「は?嫌だよそれやってやって俺に何の得があんの?」的な返答・・・怒りゲージ:41〜90

・避けてたのにわざわざ喋りかけてきて「〇〇って本当頭わりーよな」とか自分のことならまだしも自分の中の良い人やお世話になっている人を攻撃・・・怒りゲージ:プッツン

「てめえいい加減にしろよゴルァァァァア!!!」

となるわけです。

これは確かにキレられる方にも非はあるのですが、キレられた方は

「え⁉︎なにいきなり⁉︎」となるのもわからなくはありません。

それまでの「その人への不満や嫌な感情」を蓄積してしまうとこういったキレ方になってしまいます。

怒っている方は全て系列付けて覚えており、さも「道理は我にある」と憤慨しているのですが、キレられた方はいちいち覚えてないので「急にキレた!」とびっくりします。

特定の人に向けたものだけでなく、嫌な出来事や不満などは関連づけてはいけないのです。

その日あった嫌なことはその日で終わり。「明日にはきっと自分の捉え方も変わる」と積極的にマインドリセットしましょう。

出来事を人間性や感情に絡めず、「事象」として捉える

これも難しいですねー。

僕は書きながら自分に言い聞かせてます。

例えば周りの誰かが罪を犯した、人を傷つけたとして

「〇〇さんってやっぱり怖い人だったんだ・・・」

「そんなことする人最低」

と、その人の人間性に言及したり

「私は傷ついた!ムカつく!」

と感情で考えるのではなく、

起きたことは「〇〇さんが〇〇をしたということ」と事実だけを捉えます。

そうすると、

「なぜそうなったのだろう」

「どういう状況だったのだろう」

「今後どうすれば防げるか」「事態は解決するか」

と冷静に考えることができます。

決してパーソナリティを否定するのではなく、「どういう心理状態だった?」、「私ならどうなった?」と解ろうとすることで怒りとは分別することができます。

「怒り」とは「心理」

「こうなった時人は怒る」がわかれば

「こうなれば怒らない」にたどり着きます。

逆に、「怒らせない」ことも意のままになるでしょう。

私が釈迦るのに参考にした本をご紹介します

とりわけ、「悪いことをする心理」を知るというのは非常に面白いですね。

同じ状況下なら、誰もがそういう行動を取るという怖さも垣間見ることができます。

逆に、どういう状況・環境で人がキレるのかを知っていれば、その状態を遠ざけることができます。

怒らない人生は楽!

イライラしない、誰かに攻撃しない、されないというのはとても楽です。

「そりゃそうだろ」と思うかもしれませんが、この感覚が身についている人はなかなかいません。

まず自分が誰かにキレること、攻撃することがないので、生活してて身構えません。

いつも「素」で、肩の力が抜けています。

そして、肩の力が抜けていると周りの人も攻撃的にならないので、さらにリラックスできます。

そうやって、人間関係を自分から、自分の「気質」から変えていければ、コミュニケーションや社会生活もグッと楽になりますよ。

 

まあ私レベルまでブッダ化するにはそれなりの時間と労力を要しますが・・・

ってもうこんな時間じゃねえか!!

会社に遅刻する!母ちゃんなんで教えてくれないんだよいつまで寝てんだよクソが!!!