思考量×行動力×努力量

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Happiness

大抵の人は諦めるのが早すぎる。

地道にコツコツと積み上げるのが比較的得意とされる日本人ですら。

外国人の多くは最初から放棄している。

世の中の何かしらで結果を出す人たちは圧倒的に「思考量」、「行動力」、「努力量」が一般とは違う。

大袈裟ではなく24時間365日考え、コミットし、改善を重ねている。

その中からさらに数%の人間が大いなる結果を出す。

そして大衆に認知され、評価され、称賛される。

一般人が生半可に片手間ですることが一流に敵う訳がない。

人口の数が多ければ、その分そういった「非凡」な人間の輩出量も多くなる。

挫折し、絶望し、途方に暮れている暇などない。

そんな暇があったら「次に何をするか」を見定め、いち早く取り組まなければならない。

非情な話だが、それも現実だ。

みな、自分は特別でありたい。

人とは何か違う、そう信じたい。

無意識にそう思っているからこそ、人と同じことをしても自分ならうまくいく気がする。

しかし無情にもそれは勘違いだ。

人と同じことをしても人と同じ結果しか出ない。

その人が一流ならば、それに及ばぬ結果しか出ない。

そこを冷静に理解していなければいけない。

「感覚」なんて曖昧なもので世の中はできていない。



夢を持つのなら、夢を叶える説得性があるだけの努力をしていなければ絶対に叶わない。

戦後、食べるものがなかった時、日本人はそれでも「鬱」になどならなかった。

鬱になっていたら死ぬからだ。

正確には中に鬱状態の人もいただろうが、図々しく他人に「あなたは鬱です」などと抜かす余裕がある人もいなかった。

飽食の現代、人は「鬱」、「メンタルが弱い」、「ストレス」、「ブラック」などととかく言い訳をしては”死ぬ気で頑張る”ことから逃げている。

しかし、本当に「死」が目の前に迫っている時に、同じことを言っていられるだろうか。

自分が本気で頑張らなければ愛する存在が死ぬ時、そんな悠長なことを言っていられるだろうか。

そして、そんな「抜き差しならない」状況は、実は潜在的に身近に存在している。

職を失うこと、病気、怪我、あらゆるリスクが日常にはある。

いざそんな状況が目の前に顕在化してきた時、普段からそういったリスクを意識していない人間は、どうしていいか分からず「鬱」になる。

そして「自分の人生は何もうまくいかない」と言い、「死んだ方がましだ」と言う。

しかし本当は、そんな状況を招いたのは自分だ。

リスクに気づかずのうのうと日々を垂れ流し、周りの同じように努力から乖離した存在を見つけ、安堵し、「あれよりは上等」とタカをくくり、継続や研鑽を粛々と行う者を侮蔑し、致命的な腫瘍を育て続けた結果なのだ。

しかし他人は優しい。

「あなたの気持ち、わかります」と声をかける。

「きっと辛いことばかりではない、いいこともある」と励ます。

そこで初めて、全て失った人たちは前向きに自分の人生の「良い部分」を探しだす。

遅い。

徹底的に遅い。

たくさんのものを持っているうちに、その財産に気付き、自分は恵まれていると前向きに思考し、その財産を活かす方法を考え行動し続けなければ幸せになどなれない。

しかし気づかない。

なぜなら逼迫していないから。

失って初めて、前向きにならなければ明日を生きる気力も湧かないほどに打ちひしがれて初めて、ようやく前を向く、という言葉の意味を知る。

“前向き”とは、状態のことを指すのではない。

意識した「思考の判断基準」のことを指すのだ。

そして「前向きである」ことは、日頃意識して習慣化していないと障害にぶつかった時に力を発揮しない。

前向きであることにはトレーニングが必要なのだ。

ぜひ、たくさんの人に「前向き」になり、幸せになって欲しい。

今日も、私たちはたくさんの財産を抱えて朝を迎えることを自覚しよう。

 

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