自然体の心で生きるために

「自然体で生きること」。

簡単なようで実に難しいですね。



背伸びしない

肩肘張らない

緊張しない

頑張りすぎない

おどおどしない

こんなこと一つ一つを意識して生きることそれだけで息がつまりそうです。

子供のようにシンプルに、楽しい、悲しい、嬉しい、怒る、という感情で生きることはなぜ難しいのでしょうか。

思い切り感情を出してみよう

カラオケボックスに一人で行き、思い切りその時の感情で叫ぶでも良し

河原や山に行って頭に浮かんだままに動き回っても良し

自分の気持ちのままに動き、溢れる感情をそのまま受け入れてみましょう。

苦しいのか、悔しいのか、悲しいのか、虚しいのか

楽しいのか、嬉しいのか、笑いたいのか、行動したいのか

自分が今どうしたいのかに気づくと思います。

頭が整理される

自分が今どういう感情、どういう気持ちでいるのかを受け入れることで

じゃあどうすれば良いのかがなんとなく見えてきます。

例えば怒っているのなら、その怒りを鎮めるためにどうするべきか

悲しいのなら、その悲しみの根源は何か

嬉しい、楽しいのなら、その喜びは何によってもたらされ、

どうすればその状態を維持することができるのか

感情をもとに、自分がどうしたいのかを導きだしましょう。

倫理観や道徳はおいといて

もしその喜びや悲しみが他人の不幸をあざ笑う感情だったり

他人の成功を妬むものだったとしても、それはそれとして一度受け止めましょう。

人としてどうかという倫理観や、思いやりや助け合いといった道徳観念を気にしすぎると

また「私はどうしようもない人間だ」と自己嫌悪に陥りかねません。

ある程度開き直りの境地であるくらいの方が、清々しく生きることができて前向きでしょう。

他者のルールは無視してみる

他者が作ったルールというものは

基本的に「多数決」であることが多いです。

特定の誰かにとって都合良くはできていないことが大体ですが

その多数に良いためのルールも、自分に都合の悪いことではないとは限りません。

そして、その「他者のルール」とは

実は至る所に存在しているのです。

信号待ち

電車やバスの優先席

エスカレーターの左寄り

ゴミの分別

細かいものを上げればキリがなく、当たり前のように日常には

他者のルールが存在し、それに則って私たちは生活しています。

当たり前すぎてもはや疑問にも思わないですが

実はいろんなことを我慢して生きています。

社会的な多数のためのルールは、無視すると法的に処罰される可能性が高いので

プライベートなことや友達の間などでは

ルール無用で付き合える関係を築くのも、心から笑いあえる相手を作る鍵かもしれません。

優先順位を決める

自分の中の優先順位がしっかりと定まっていないと、何を重要視して頑張ればいいのかわからなくなり

いつの間にか「力を抜くタイミングを見失っている」という状況になりがちです。

今、自分が何を優先して選択するべきなのか

一度考えをまとめてみましょう。

優先順位のアップデート

盲目的に、「お金がないと何もできないし、優先順位の1位は収入」とか

「私は他の人よりも自分の時間を作らないと頑張れないから、私の優先順位は自分の時間」と

改めて考えずに自分を決めつけてしまっていませんか?

確かに、ある程度年齢や立場によって優先順位が高くなるべきものが存在します。

学生さんならば学びの時間や遊びの時間、自分が興味があることに集中する時間が大切ですし

社会人一年目の人などは、仕事を早く覚えたり職場の文化や雰囲気に慣れなければいけないので、仕事が優先、というのも頷けます。

しかし、その時の優先順位が何年も更新されないまま

改めて考えてみればもっと余裕のあるライフスタイルは作れる、という方は意外と多くいます。

その時期に物事の優先順位をしっかりと意識して行動できていればいるほど

固定観念として自分が何を重んじるべきかという呪縛に縛られていきます。

一度「今の自分」を書き出して

「今の私の優先順位」をアップデートしましょう。

当時一番大事だと思っていたことが

今だったらどうにでもできることになっているかもしれません。

「空白」を作る

多忙に過ごしている人に多くいるのが、「何も予定がないのが耐えられないから何かしらやる、どこかしら出かける、仕事を詰められるだけ詰め込む」という人です。

しかし、そんな人ほど、実は常にいっぱいいっぱいで

いつも何かに追われているように慌ただしくしています。

そういった人の本音は「ヒマに耐えられない」のではなく

「何者でもない自分」である瞬間を直視するのが怖いだけです。

何かしら仕事や予定で役割を自分に与え

何かに属している、と自分に意味付けしているのです。

しかし、本来人に意味などないと考えるのが妥当です。

存在に意味がある人がいるのではなく

その人がする行為に意味が生まれるだけなのです。

あなたがもし「何もしない日」を作ったとして

そこに「休息」でも「フリー」でも「自分」でも

名前をつければ、その日には意味ができます。

その意味を果たそうとすることは

実はなんの労力も要しません。

だったらぜひ、「何者でもなくなる日」を作ってあげましょう。

きっと自分がどういう人間なのかのヒントは、そういった瞬間に落ちています。

自己肯定を繰り返す

自分の行動に自分がどう感じるかは、自分の気持ちと行動を素直にリンクさせるために非常に重要です。

しかし、自分の行動に対し「だめだなあ」、「なんでもっとうまくやれないんだ」、「バカだなあ」と否定ばかりでは

気持ちと行動がうまくリンクせず、自信をなくし、行動するのが億劫になり

感情を表現することが怖くなってしまいます。

自分の行動が結果としてうまく作用しなくても

「私らしい」、「できることはやった」、「タイミングが悪かった」など

自分のプロセスは褒め、結果は自分以外のどうにもならないことになすりつけましょう。

実はそれが自分を愛する秘訣です。

自分が一切左右できないこと、例えば

時期、タイミング、血液型、天気などのせいにすることができる人は

自尊心を損ないません。

自分を本当に理解できるのは自分だけ、と開き直り

自分の行動を肯定してあげる存在になりましょう。

どんどん変わっていくべきです

力まず、無理せず、生きていくためには

どんどん自分本位に変化していかなければなりません。

他人の目や言葉や態度を気にしているヒマこそないのです。

他人に押し付けられた「私らしさ」を脱ぎ捨て

本当に自分がしたいように振る舞うことが大切です。

最初はもちろん葛藤や罪悪感、「これでいいのだろうか」という不安があるでしょう。

しかし、それこそが「心のリハビリ」です。

心が本来あるべき姿で自立しようとすることで、今まで「概念」というギブスに固められていた形から解放される際に痛みを伴います。

でもその痛みが引き、自由に心を動かせるようになれば

「こんなに自由な生き方がどうして今までできなかったのだろう」と実感することでしょう。

時代はどんどんパーソナリティ、アイデンティティを重視する方向に変わっていきます。

その人にとってどうか、個人としてどうか、という判断基準がスタンダードになっていきます。

その時、あなたが自分を愛し

「私は私の生き方を愛している」と言えることが、何よりも強い武器になるでしょう。