誰がための人生か

午後5時を告げる鐘がなる。

 

あたりは暗くなり始めている。

 

少し頭痛がする。

 

週末。

サービス業の人間にとって、週末は待ち遠しいものではない。

むしろ、来なくていいとさえ思っている。

だがしかし、社会の一員として生活する以上、必ず訪れるものでもある。

 

サービス業界に人権はあるか

「お客様は神様です」と言った人間がいる。

ならば、その神様に対応する人間はなんだ。

答えは、「人間」である。

神様の機嫌など、窺い知れるはずもない。

 

感情は捨てた

とうに、感情は捨てている。

怒ったり、喜んだり、悲しんだり、笑ったり、いちいち感情を揺らしていては、次から次へと押し寄せる神のフリをした客たちの相手は務まらない。

客による、従業員への罵倒・セクハラ・強要・見下し・・・

昨今、パーソナリティが重要視され、また、かつてよりも職務上のモラルが見直されている現状でも、まだまだこの手のストレスは少なくない。

それは、諦めに近い状態で看過されているにすぎない。

一つ一つを取り上げて問題提起していては何もできないのだ。

なので、学があるものほど、感情を殺し「流す」のが利口だと気づく。

「意に介さない」のが最善策だと。

 

笑顔の強要

傷つけられることだけがストレスではない。

「私、今日誕生日なんです」

「今日は記念日で」

他人の幸せの押し付けや、酒に酔った勢いに任せた必要以上に大きな声でつまらないギャグを浴びせられること

その「笑わざるを得ない状況」も、攻撃を流す以上に疲れる。

プライベートならそんな報告されないし、されたところで無表情でスルーできる。

酔った他人が騒いでいても、目も合わせずに通り過ぎればいいだけだ。

しかし、職務中、サービスを受けに来て、面と向かって対応しなければいけない状況で、求めてもいない言動や行動は迷惑なだけだ。

こちらが「今日は誕生日ですか?」、「何か大きな声のギャグはお持ちですか?」と訪ねた時だけ、それに応えてくれればいい。

まして、サービス業の会社は決まって「お客様には笑顔で対応しなさい」と教育するくせに、「迷惑な行為にはこう対処しなさい」とは教えない。

「お客様の行為に迷惑がること自体価値観が低い」とすり込みたいからだ。

そうして、「人ならざるもの」として醸成されたものが重宝され、また同じように人ならざるものを生み出していく。

 

誰がための人生か

人に尽くし、人に傷つけられ、人に笑いを押し付けられ、時間を削り、驚くほどの薄給で、立ち尽くし、他人が休んでいる時ほど過酷に。

 

誰がための人生か。

 

自由は、「正常」のもとに

自分のために怒り、感情の赴くままに、笑い、泣き、人と接する。

そんな「当たり前」がなぜできないのだろう。

いつからできなくなったのだろう。

「異常」なのは、どっちだろう。

 

「わからない」と思った方、一度、自分についてしっかりと考える時間を作ってください。

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「自由」であることは本来、簡単なはず。

本来、そうあるべきはず。

 

自分の人生は、自分のために生きて

他の誰でもない、自分のための人生を生きよう。

 

自分がどうしたいかで決めるべきだ。

選択肢はたくさんある。

「もう遅い」なんて洗脳だ。

全ての人に、自分らしく生きる権利がある。